梁川小学校

梁川小学校(昭和37年築、平成13年解体)

岩手県奥州市江刺梁川字日ノ神112

『広報えさし』昭和37年6月1日

県下初の円型校舎

 梁小建築工事進む

 市では昭和三十六、七年度事業として、総工費三千六十万八千円(事務費百六十万八千円を含む)で、梁川字日の神地内に梁川小学校を建設中です。

 工事は藤田建設株式会社が請負い、ことしの一月二十六日着工し、十月三十一日完成をめざして工事をすすめています。

 新築される校舎は、延千七百九十九・九四平方メートルの鉄筋コンクリート造り三階の円型校舎(屋内体育場を含む)です。

 教室数は十二で一、二階になっており、三階は屋内体育場です。

 財源は国庫負担金五百七十三万四千百円、起債八百万円、梁川地区の寄附金百万円、梁川地区の財産売払金六百九十万円、一般財源八百九十七万三千九百円となっています。

 なお設計者は市役所庁舎を設計した、東京の建築綜合計画研究所の坂本鹿名夫氏です。

【県下では市庁舎についで二番目の円型建物となる梁川小学校校舎】

『奥州・胆江今昔写真帖』郷土出版社(2007年)

梁川小学校 奥州市(江刺市)

昭和37年建設の、県内初の円形校舎である。1、2階が普通教室、3階が屋内運動場、右側の建物が特別教室となっていた。同53年の宮城県沖地震の被害を受け、3階部分を取り壊して体育館を別棟とした。さらに特別教室も取り壊して、昭和55年に鉄筋造りの校舎を増築した。

『梁川郷土誌』梁川振興会(1984年)

第三章 教育

二、小学校

(イ)校舎の変遷

(略)

○昭和三十七年(旧校舎大正二年の建築)したものと講堂を解体して現在の校庭を作った。同時に三階の円形校舎(コンクリート)を竣工した。

○昭和五十三年六月十二日の宮城地震のため三階(講堂)が災害を受けた。

 三階だけ取りこわし屋根葺替した。

(略)

(ロ)小学校の沿革

(C)昭和時代

(略)

○昭和三七 円型校舎着工

○昭和三七 旧校舎講堂解体運動場拡張、円型校舎(三階建コンクリート)竣工す。

(略)

○昭和五三 宮城地震のため円型校舎三階講堂災害を受け三階だけ取りこわし屋根を葺替す。

(略)

小学校々舎

『日本教育』日本教育会(1998年6月号)

「我が校の宝」

岩手県江刺市立梁川小学校

円形校舎に集う

「ぼくらが通う

  この丘の

  円い学校

  ぼくらの学校」

校歌に歌われている一節である。

 本校の特徴ある円形校舎は、江刺市の庁舎と並んで、名物の建物となっている。

 春は桜に囲まれ、ヤマツツジ咲く六月ごろは、小高い丘の上に建つ白亜の校舎が一段と目立つ季節を迎える。

 昭和三十八年に新築された校舎だったが、宮城県沖地震で被害を受け、三階ホールが解体され、いささかこじんまりとなった。

 昨年十月一日には、岩手県小規模複式研究大会(県へき研)が、本校を会場に行われた。また、獅子踊りがとても盛んで、平成元年には、本校でも伝承活動としての獅子踊りが誕生した。一昨年度は、「全国農業青年交流会」の場で披露をし、盛んな声援を受けた。

 温かく思いやりがあり、健康でたくましい子どもの育成を目指し、家庭と地域と一体になっての人づくりにあたっている。

(校長 千田紀一郎)

奥州市立梁川小学校-ウィキペディア

『梁川郷土誌』梁川振興会(1984年)

『日本教育』日本教育会(1998年6月号)

『奥州・胆江今昔写真帖』郷土出版社(2007年)

『梁川小学校百周年記念誌』

『奥州の教育 平成19年度』

『市勢要覧えさし’68』

『広報えさし』