安土中学校
安土中学校(昭和33年築、昭和59年解体)
滋賀県蒲生郡安土町上豊浦鳥1
安土中学校 昭和二二年の学制改正による新制中学は旧村ごとにそれぞれ小学校に併設された。このうち安土村では二三年八月一七日に現近江八幡市域に属する旧金田・桐原村と学校組合立蒲生第一中学校を設立したが、二九年の安土町の発足に伴ない、再び分離して町立安土中学校が下豊浦四六六〇番地に設けられた。他方、老蘇村は二三年一二月一二日に現近江八幡市域の旧武佐村と、現八日市市域に属する旧市辺・平田村などと学校組合立蒲生中学校を設立し、安土町発足後も当分の間はこの中学校を利用していた。その後三二年七月三日に町立安土中学校が上豊浦鳥打一番地に移転し、三三年三月二九日に鉄筋コンクリートの近代的な円形校舎が竣工してからは、本町域の中学生はすべてここへ通学するようになり、町立安土中学校は名実ともに本町の中学校となった。
『滋賀県市町村沿革史 第3巻』(1967年)
円塔校舎時代もあった半世紀
安土中・きよう「創立50周年記念式典」
卒業生 7,809人育つ
=金メダルの寺居選手ら招いて「ようこそ先輩」=
(湖東・安土町)
町立安土中学校(木瀬啓校長)の創立50周年を祝う記念式典がきょう24日午後1時半から同校体育館で行われ、半世紀の歩みを振り返る。
同校は、終戦後の新学制導入で安土村立安土中学校と老蘇村立老蘇中学校が創設され、その後の教育制度の改正で、昭和23年、現在の近江八幡市、八日市市、安土町とで設立された組合立蒲生中学校に編入された。
同29年(1954)4月1日、安土村と老蘇村が合併して「安土町」が誕生したのに伴い、同月20日、両校は町立安土中学校に統合され、本校校舎に村立安土中学校が充てられた。老蘇学区の生徒は、全国的に有名になった円塔校舎が完成する33年4月まで蒲生中学校に通った。
その後、教育施設の整備が進められ、同年7月に運動場、3年後の36年に技術家庭科室、38年に体育館、51年にはプールが完成したが、当時、全国で3例しかなかった珍しい円塔校舎(当時の建築費3千万円)は「北側校舎に陽が当たらない、便所の臭気が上階に昇る、音の反響が大きい」などの問題が浮かび上がり、峠の高台に立つ斬新なデザイン美で注目を集めたが改築されることになり、28年間の学舎に終止符を打った。
新校舎は、円塔校舎の高台から降りた運動場北側に用地を求めて建設されることになり、造成工事着手から2年後の59年6月に総工費6億9千万円の現校舎が完成した。円塔校舎は翌60年3月に解体された。
50年間で7,809人(男4,034人、女3,775人)の卒業生を世に送った。在校生は、36年の559人をピークに年々減少し、現在は413人が通っている。
学校では、PTA役員が中心となった創立50周年実行委員会を発足し、記念事業の内容を検討。後世に継承していくものとしてテニスコートだった中庭に樹木と水の流れがあり、茶室も設ける日本庭園を3年がかりで造ることや50年の歩みを綴った記念誌の編集発行、式典の開催準備を進めてきた。
きょうの記念式典では、20歳から60歳代の卒業生5人のパネルディスカッション「ようここそ先輩ー安中版ー」の開催に続いて、中庭や校庭に町の木「椿」50本とあじさい600本をみんなで植える記念植樹を行う。また、卒業生でパネルディスカッションのパネラーとしても参加する日本画家・藤井万里子さん(作家名・藤井靖子)から寄贈された校舎を描いた日本画(50号)の除幕が行われる。
パネルディスカッションには、昨年のユニバシアード大会の柔道66キロ級コールドメダリスト・寺居高志選手(20歳代・老蘇ニュータウン出身)、日本画家・藤井万里子さん(30歳代、桑実寺在住)、ドイツワインのソムリエコンテスト優勝者・溝井秀次氏(40歳代・下豊浦出身)、津村孝司町長(50歳代・四の坪)、辻尚弘氏(60歳代・町少年少女発明クラブ指導員、四の坪)が参加。中学生時代の思い出話しを語り、後輩たちに夢を託すメッセージを送る。
当時、全国で3例しかなく見学者が多かった円塔校舎
「滋賀報知新聞(ニュース)平成16年4月25日(日)第13778号」
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