松江赤十字病院

松江赤十字病院(昭和29年築、解体年不明)

島根県松江市母衣町200番地

 これとは反対に、本館は明治時代の建物であったから、昭和二十八年十月より資金四千九百八十五万円を投じて中国地方にあまり例を見ない円筒型病棟の建築に着手し、翌二十九年六月十六日、高松宮妃御列席のもとにしゆん工式をあげた。
『新修松江市誌』(1962年)

松江赤十字病院
設計 横河工務所
   松江赤十字病院営繕課
施工 清水建設株式会社

 下町と城下町の中間の濠傍に位し、円型病棟としては下関に次いで第2番目のもので半径を大きくした意慾的な設計である。
 一般的な設計として、外周と内周北側に病室を、内周南側にサービス部を配置してある。病室は4床を単位としてあるが、手術患者を主とする外科病棟としての要求を満す個室も多い。サービス各室の配置には苦心の跡がみられる。
 費用の関係からエレベータをやめて、斜路にしてある。円形の欠点として考えられるのは方角がわからなくなることと騒音である。前者を防ぐのに廊下の形に変化をつけ、方位の印を大きく示してある。
 夏期は夕照が強いので西側にベランダをつけ、通風をよくしてある。
『日本病院建築図集』理工図書(1960年)

104 円型病棟と中病棟
 昭和二九年、全国でも珍しい鉄筋三階建・病床数一七四の円型病棟が完成した。その位置は明治九年に松江公立病院が創設されたところであった。同三二~三三年には中病棟が出来た。本館建築は終生の願いと遺書を残して去った武藤院長のあと、第三代は現在の石倉愰院長となり、昭和四三年に本館(地下一階地上六階)を完成させた。また円型病棟も取り毀し、昭和五四年現在改築中である。
『写真集明治大正昭和 松江』国書刊行会(1979年)

松江赤十字病院-ウィキペディア

松江赤十字病院

『日本病院建築図集』理工図書(1960年)

『日本の赤十字』日本赤十字社(1956年)

『写真集明治大正昭和 松江』国書刊行会(1979年)

円形建築,病院