引原小学校
引原小学校(昭和33年築、平成29年解体)
兵庫県宍粟市波賀町引原307-3
奥播磨のチヤンチヤコ踊
養父郡の大屋谷を西へつきあたり、若杉峠を登りきると、そこは宍粟郡波賀町の最北端である。波賀町というのは山また山の引原谷に沿った山裾に、わずかにここに三十戸、次に五十戸という風にばらばらと人家がかたまっていて、南北実に三十三キロ、面積一五八・七平方キロ、尼崎市や明石市の三倍強、芦屋市の十倍近い広さでありながら人口は六、二二三人。一平方キロに三九・二人の割しかいない。尼崎市の同じく八、九七九人に比べると何と二三分一ぐらいにあたる。
その山奥の閑村も二十九号国道線が南北に縦貫し、戸倉峠の大隧道を越えると鳥取県で、途中に兵庫県随一の大ダムたる音水湖があったり、音水、赤西両渓谷地帯には大自然林、特にカエデなどの紅葉樹が多いので「もみじの名所」として秋のころ、また、北端の道谷、戸倉はスキーの好適地として、近年頓に観光対象地となった。藁屋根の農家の中に忽然と鉄筋建の役場やら円形校舎が見えるなどの都市文化浸潤も観光のお蔭かもしれぬし、二十九号国道線やダムの影響でもあろう。
とも角山林、ひいて炭焼きとわずかばかりの農産しかなかった旧奥谷村、西谷村にもやがて近代文化の息吹きが濃厚にみなぎることになろう。
桐山宗吉著『ふるさとの祭』のじぎく文庫(1963年)
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