只見中学校
只見中学校(昭和37築、昭和63年解体)
福島県南会津郡只見町只見雨堤1031-3
円形校舎落成
昭和34年8月、三村合併に伴い只見町と改称され只見町立只見中学校と改称された。
昭和35年田子倉に大型発電所が完成した後、昭和36年3月に校旗が制定され(卒業生より寄贈)昭和37年には只見駅の南に鉄筋コンクリート三階建ての円形校舎が落成した。
(所在地 只見町大字只見雨堤1031-3)
この円形校舎の特質について当時の先生はこのように言われた。
●長所として……
*鉄筋コンクリート三階建て建築で、木造に比べ耐久年数はほとんど永久で、将来の維持修繕費は節約できる。
*近代感覚的建築で、美しいきれいな環境で学習できるので、生徒達の気分に安定感と誇りを持たせることができる。
*教室が扇状であるので要に教師と黒板が配置されるので、教師を中心に接近した形で勉強できる。
*逆光線を心配される向きがあるが、背面全部が窓で、生徒側からは教師の動きや板書事項等は良く分かる。
*廊下が少ないから床面積に対し、施設利用率が高い。
*窓が多いから換気が容易である。
*防火上及び風雪害に対して不安が無い。
●短所として……
*防音装置が完全でないので反響がある。
*ガラスの破損度が高い。
*教室において、教師側から逆光であるため生徒の表情が充分に観察できない。
*校舎の東側は一年中明るいが、西側の半分は年中日が当らないので暗く寒い。
*円形の中心部(廊下)の採光が不十分である。
*出入り口が教室前方であるので授業参観など不都合な時がある。
*床張りがしてないので、コンクリートの粉が浮き上がってきれいにならない。
など、以上のようなことであった。
生徒側からは以下のように考えられていた。
校舎の真ん中は吹き抜けになっていて地下室もあり、一つ一つの教室が扇状になっていて日の光が良く入って明るかった。円形だったので、迷路のように感じて、中には迷う生徒もいたようである。雨が降るとよく雨漏りもしたし、狭いと感じることもあったが、みんなこの校舎が好きだった。色々な感じ方はあっても、皆一様に校舎への愛着を持っていたのは確かである。この珍しい校舎は大きな話題になり、各地から多くの参観者を呼び寄せたものである。
長所、短所それぞれ前述した通りである。とはいえ、只見町の気候・風土から考えると、豪雪地であると同時に湿気も非常に強い面があり、構造上難しい面があったと言えるかもしれない。その後、昭和53年11月にはプールが新設され、子供達の体力向上に役立っていった。
その中学校も昭和61年~63年までに、校舎・体育館・プール・校庭整備と三ヵ年計画で町下の町民広場脇に進められた。その後、円形校舎はとり壊されて広場になり体育館だけが残った。昭和63年4月、旧体育館及びプールは(町民プールとして)開放されたが後年撤去された。
『只見町三中学校六十年のあゆみ 清流と共に』只見町教育委員会(2009年)
円型中学校校舎
―福島県只見町―1 町の概要
只見町は福島県の西南端、新潟県との境にある面積747平方粁、人口12,000人余の町である。町の大部分が山岳地帯にあつて、冬期は5カ月もの間雪に埋もれ、その産業も山合いの農業を主としているので、元来町の財政力も弱く、昭和31年度以降財政再建団体として累積赤字の解消に努力を傾けてきた。その後、只見川の電源開発的価値が注目され、町内に出力38万キロワツトを誇る田子倉発電所が完成するに及び、昭和35年度には再建を完了し、町の財政事情も好転するにいたつたので、やつと遅れていた公共施設の整備にとりかかることができるようになつた。2 事業の実施
町の義務教育施設は、小・中学校あわせて、本校6校、分校7校、季節分校7校であるが、今回改築した只見中学校は、昭和25年に建築した木造二階建の校舎で、改築前の保有坪数は延433坪であつた。改築が必要になつたのは、建築当時の材料不足や財政事情などから全体がきわめて粗雑にできており、昭和35年度には全体の80に近い322坪が危険校舎として認定されたこと、生徒の自然増が続いたうえ、電源開発の進捗に伴い町の人口が急増し、転入生徒が増加したことなどの事情によるものである。
事業計画の策定にあたつては、この地方が豪雪地帯であることにかんがみ、特に次の点に考慮を払つた。
(1) 冬季における長期間の雪に長年耐えることの可能な建物にすること。
(2) 舎屋の雪の処理が簡単であること。
(3) 屋上の積雪をおろすと一階の教室が暗くなつて、授業が困難となる場合があるので、これを最小限に防ぎ得る構造とすること。
この結果、町の公共施設としては画期的な鉄筋構造による建築に踏みきつた。昭和36年7月、年度内に完成させることを目途に着工したが、積雪のため工事が遅れたので、翌年度へ事業繰越をした結果、昭和37年7月31日写真のようにモダンな円型校舎ができあがつた。3 円型校舎とした理由
校舎を円型としたのは、狭すぎる校庭を拡張するため旧校舎の取りこわし跡を校庭に充てることにしていたので、新校舎の敷地の確保に苦慮せざるをえなくなり、そのため敷地を最も効率的に使用することが要求されたことが最大の理由であるが、同時に、円型校舎には、(1) 教室が扇形であるので、後方の生徒からも教師の顔がよく見え、また話もよく聞こえること、(2) 中央部が直径3メートルの丸い輪になつていて採光の点で有利であり、外側からはまんべんなく平均した光が入ること、(3) 通風がきわめてよいこと、(4) 校舎の坪数に対する教室の確保坪数が有効であることなど、教育上および施設管理上多くの利点があることも大きな魅力であつたからである。4 事業の概要
(1) 校舎の延坪数 24室 581坪
ア 普通教室 9室 180坪
イ 特別教室 5室 100坪(理科室、音楽室、図書室、技術室、家庭科室)
ウ 管理室その他 10室 301坪(校長室、職員室、生徒相談室、教材室、放送室、衛生室、教官室、宿直室、公仕室、炊事・風呂場、便所、廊下)
(2) 校舎敷地 678坪
(3) 校舎の構造
ア 鉄筋コンクリート造三階建円型校舎
イ 耐震耐火構造
ウ 各室防音装置付き
(4) 事業費および財源内訳
事業費 38,776千円
(起債査定基準内事業費 421坪 25,849千円
国庫負担認定事業費 271坪 14,232千円)
同上財源内訳
国庫負担金 4,744千円(昭和36年度補助)
起債 13,000千円(昭和36年度許可)
一般財源 21,032千円
『地方財政』1962年12月号
只見中学校、町下に移転、改築
只見中学校々舎の改築が決まりました。この校舎は昭和三十三年と三十七年に建築されたものですが、近年、建物の老朽化が進み、町で補修か改築か検討を重ねていたものです。建設時期は来年度から、場所は町下の町民広場脇でテニスコートがあるところです。
この学校建築の経過、概要をおしらせいたします。
(写真)
左側が円形、右側が方形の只見中校舎日大工学部に鑑定を依頼
改築に決定
同校々舎は大半が円形のため騒音、照度、室内温度など教育環境が悪く専門家より問題のある校舎として指摘され最近では窓枠の腐食、雨もりが発生し、維持管理に多額の費用がかかるため、その対策に苦慮しておりました。しかし、建築後の年数が浅いため補修や改築が補助の対象とならず、町では最小限度の修繕により管理してきました。こうした中で全国的にこの年代に建築された建物に同じような問題が生じているため国では昭和五十九年度より、鉄筋コンクリート校舎の大規模改修事業の補助制度を作りました。町ではこの制度により改修を検討したところ概算事業費で二億円かかり補助率が低く財政負担が容易でない、改修しても円形校舎の持つ問題解決にはならない、等のこともありました。
このため、県に相談したところ「教育機能上不適格の建物で校舎の耐用年数がこなくても大学等の専門機関の鑑定を受け、文部省が不適格建物として認定すれば補助による改築が可能」と判断されました。このため改修か改築を比較検討したところ、財政負担は多いが教育環境が整備される改築の方が将来的に見て有利であると考えて昭和六十年度当初予算に調査費を計上し日本大学工学部工学研究所に調査、鑑定を依頼しました。
この調査結果では円形校舎と体育館の間の方形校舎は「構造耐力上危険校舎」円形校舎については「教育機能上及び構造耐力上学校建物として不適格」と鑑定されました。町ではただちに鑑定書を県教委に提出し、十一月十二日文部省と最終の協議をした結果、鑑定書のとおり、危険校舎、不適格建物として認定されましたので改築が可能となりました。来年度より三ケ年継続事業
総事業費は概算七億四千万余円
このため、町では財政が極めて厳しい中ですが、昭和六十一年度より三ケ年継続事業で改築することを決定し、現在基本計画、実施設計の準備を進めています。
建設場所については次の三つの想定で検討してみました。
◎現在地
・敷地が狭く、拡張できない。
・只見駅、県道に面しているため教育環境が悪い。
◎移転
・用地確保がむずかしい。
◎学校統合
・町民の理解と合意を得なければならない。
・生徒の通学に問題がある。
それぞれ問題がありましたが校舎の管理上、改築を急ぐ必要があるため、財政上、また教育環境の点など総合的に見て、町下地内の町有地に移転改築することに決定しました。
計画の概要ですが、児童生徒の減少に合った規模とし、雪に強い構造を考えています。
以上の他に校庭の整備、旧校舎の解体が必要となりますが三ケ年後には自然環境に恵まれた立派な学校が完成する予定です。
配置図
(略)
只見中学校改築の計画概要
(略)
『広報ただみ』昭和61年1月10日
『只見町三中学校六十年のあゆみ 清流と共に』只見町教育委員会(2009年)
『広報ただみ』昭和61年1月10日
『伸び行くふくしま』福島民報社(1983年)
『ふるさと再発見―福島県市町村新風土記』福島民友新聞社(1975年)
『図説会津只見の歴史』只見町(1970年)
『地方財政』1962年12月号
只見中学校円形校舎と材木を運ぶSL-ジャパンサーチ
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