淑徳大学

淑徳大学(昭和40年築、現役)

千葉県千葉市中央区大巌寺町200

(四) 創立事務と認可申請
(略)
 鈴木創立事務所長は円型校舎について、マハヤナ学園撫子園と淑徳小学校の円型校舎の利用効率に対する教職員の不満の声を耳にしていたので、長谷川理事長に、「円型校舎は光線が逆に放つこと、音響効果が凄く悪いこと」を進言したが、理事長は「何しろ工費が安いのと、敷地が少くて済むので」と、設計士坂本鹿名夫氏を信頼して譲らない。ところが、安い筈の工費が言い値の二倍半位になり、音響の悪効果と逆光線は依然として教員・学生から続出したのであるが、後の祭りだった。開学後、施工者藤田組に相当苦情も言い、注文もしたが、「設計通り施行したまでです」という答えだけに終った。
 青山の坂本設計事務所、代々木の藤田組の本社、東京都教育信用組合、住友銀行ときわ台支店、千葉興業銀行、大巌寺、大学の工事現場等を次から次と廻って歩くのが、創立事務所長たるものの仕事であった。各方面の融資は予定通り進んだが、一つだけ千葉銀行だけはアッサリ断わられた。もっとも古荘前頭取の不当貸出しの後で、日銀の出向監査中で新規貸出しの制限中であったからである。
(略)
『淑徳大学十年史』(1976年)

長谷川良信の大学構想
(略)
 大巌寺の森と調和して美観を誇る本館の円形校舎は、ロマンチスト長谷川良信の一面をしのばせるが、これも学祖にとっては、つかの間の夢の殿堂に終わった。この建築構想は、淑徳学園経営の小学校、撫子園の延長である。当時、千葉県下では稀有な建物に属し、津田沼小学校や習志野高校に継ぐもので、緑濃き生実の台に東京湾の潮風と夕日をいちぼうに浴びてそびえ立つ斬新なまでの白い建物は一つの偉観であった。
(略)
『淑徳大学十年史』(1976年)

淑徳大学

『淑徳大学十年史』(1976年)